2015-04-23 第189回国会 参議院 財政金融委員会 第8号
それから、この方は英文学の大変な素養のある方でありまして、しばしばシェークスピアのいろんなせりふを引用されたりする大変インターナショナルな方でもございます。ただ、これは私の個人的な関係、感想でありまして、AIIBの総裁としてどうとかこうとか、そういう話とは全く関係ございません。
それから、この方は英文学の大変な素養のある方でありまして、しばしばシェークスピアのいろんなせりふを引用されたりする大変インターナショナルな方でもございます。ただ、これは私の個人的な関係、感想でありまして、AIIBの総裁としてどうとかこうとか、そういう話とは全く関係ございません。
かつて、シェークスピアの翻訳を全部した、翻訳家でもあった英文学者であった、かつての日本の代表的な論客であった福田恆存さんが言っていますけれども、憲法の前文は、英文の翻訳としてはせいぜい七十五点だと。大学生の採点というのは、優、良、可、不可とあって、可は七十五点なんです。これは落第の寸前の。
○広中和歌子君 私自身、英文科を出まして、日本の大学で英文科を卒業いたしまして、ですから英文科卒業生について、そして特に教員になった方についてとやかく言いたくないわけでございますけれども、やはり英語教育というのが、あるいは英文学、米文学にいたしましても、非常にドメスティックな視点でなされていたような気がいたします。
ぜひ、そういったすべての基本の中において、何回も申し上げますように、道具としての英語を、英文学とかいうことではなくて道具としての英語を早く子供の時代から身につけられるようにしないと、後世の、親御さんといったらいいのか、子供といったらいいのか、後世の次の政治家からといったらいいのか、今でもおくれているぐらいですから、早急にやらなければいけないのではないかなというふうに私は感じております。
○海江田委員 ここは英文学の授業の場じゃないので、自動詞や他動詞ということはおいておきますけれども、要するに、十一月の六日号でニューズウイークの側は反論を載せているわけですけれども、そこで、竹中大臣は英文に当たってくださいということで、その英文も出ているわけですよね、これは。「マージャーズ ハブ レフト ジャパン ウイズ フォー メガバンクス。 アー ゼイ ツー ビッグ ツー フェール?」
彼は当時、英文学の泰斗でありましたからね。英語の詩を書いて出した。そうしたら、今度は正岡子規は真っ赤な筆でベリーグッドと書いてきたというんですな。これは、先生と弟子、おまえたちはここにいる教官たちを乗り越える法曹になれと、非常にいい教え方だったと思うし、私もいまだに非常に印象に残っている話であります。
きょうのお話にはなかったかと思いますが、そもそも先生は英文学の方の御専門でいらっしゃいますので、最近出ております英語の公用語化ということについてお伺いをしたいと存じます。
これはもちろんもう今は亡くなっておられますけれども、英文学の辞書を書かれた土居光知先生とか、それから知的リーダーシップを戦後十分とられた桑原武夫先生が、東北大学の教授のころユネスコというものがあるらしいということを聞かれて、そして自分たちでサークルをつくって、これを何とかしようじゃないかということで、今で言う言葉のNGOを立ち上げられて、そして政府に働きかけてそれで政府が動いて、そして国会に働きかけて
私は、実は議員になる前、英文学、女性学を専門としておりましたから、短大とか大学とか社会教育でこういった女性史あるいは女性のライフスタイル、男女の違い、ジェンダーといった講義をしたり講演をしておりました。
これを翻って日本に当てはめてみますと、やはり英語も、ただ英語で会話ができるとか英文学、米文学を勉強したというだけでは実際に役に立つにはほど遠いのであって、ビジネスなり何なり、技術の一つの分野なり専門というものを持った上で、それを自分と同じ専門を持った相手国の人と英語でお話ができるようにならないとだめなんじゃないかなという気がいたしますし、そういった専門家になる以前でもやはりある程度内容のある英語を話
ただ、今数人の先生から日本語ないし言語の問題について御質問がございましたので一言つけ加えさしていただきますと、何も何十万人もの人間が英語、英文学を勉強する必要はないじゃないか、めったに、一生かかったって使う機会がないのに、何でほとんど全員が中学、高校と英語を勉強するのか、そういう議論もあり得るわけでございますし、先ほど申しましたように、私は日本の外国語教育が英語に偏り過ぎているという私見は持っておりますが
それから、及川先生の御質問に関連して思いついたことを三十秒ほど申し上げたいんでございますけれども、英語は確かにドミナントな国際普遍語の一つでございますが、日本の大学教育の中で英語、英文学というのが非常に多過ぎまして、多いことも結構なんでございますが、それに比べましてドイツ語、フランス語というのは、明治以来の伝統でございますが、例えば中国語とかあるいはスワヒリ語ですね、アフリカの東海岸の共通語でございますが
英文学部の方はもちろん積極的にやっていますけれども、私の感じとして、日本の大学の学生は半分以上はもうアレルギーになりまして、あの人たちにとって英語は嫌です、しゃべりたくないんです。英語嫌だけではなくて、外国人の顔も嫌なんです。外国人の顔見て、またその悪い思い出ばっかり頭の中に浮かんでしまうんです。
一つは、私、大きな問題はやはり教育制度そのものにもあるというぐあいに考えておるわけでありまして、そういうようなOA機器、ワードプロセッサーあるいはその他の機器についても十分なじみを持たせるような教育というようなことを、例えば女性の方にも、専門として英文学であるとか国文学をおやりになる、これはもちろん大変結構なことだと思いますけれども、それ以外に、そういうものについても十分なじみがあるいろいろな教育をやっていただくということが
私は外国語教育は非常に大事だと思うんで、私、自分のことを言ってはなはだ恐縮ですが、私は英文学を専攻したんですよね。それで、終戦直後、私がアメリカと全部交渉した、六・三制やるときは。私一人でやったんだけど、私だけは首にならぬで、ほかのやつはみんな首になったけれども、これは外国人の物の見方、考え方がわからなかったですよ。私は首にならぬ、しゃべったからね。
と言うのは、これは大学あたりで教員の免許状を取って、いろいろと英語教育に将来当たっていこうという学生諸君の授業、どういう授業を受けているのかということを見てみますと、いわゆる英文学なんですね。これはもう英文学と英語そのものは質が違う問題だと私は思うんですけれども、現状では英語の教師というのは大学の英文学科の卒業生が多い。
○内藤国務大臣 何か私が日教組をいじめたように言われるのは、私は非常に心外でして、六・三制を始めるときに学校教育法——私は実は英文学を専攻したので、アメリカと全部やったのです、私が。そこで学校教育法をやった。ところが、お金が全然なくてやれというから、シャウプ勧告で全部持っていかれるから、そこで半分の国庫負担金をやったのです、これは天野さんの文部大臣のときに。
たまたま私は英文学を専攻して、私が学校卒業したころは、英語をやるやつは国賊と言われたですよ。しかし、その国賊が終戦後は役に立ちまして、司令部とあの学校教育法全部やりました、一人でね。ですから、剱木さんの報告書を見ると、あれだけは日本語で書いてあるとおっしゃる、私は大変うれしく思うんですが。
これはとにかく比較するのでございますから、日本文学とドイツ文学、あるいはドイツ文学と英文学、ドイツ文学とフランス文学というふうに、でありますから最低二カ国語は絶対これを必要といたしますので、非常に語学を鍛えますし、比較を出ました学生は大体において高等学校の語学の先生に就職しているのが多うございます。
また私学にありましては、青山、上智、明治学院、東北学院、東洋大学、津田塾等の各大学の英文学専攻科の間におきまして単位の互換制度を認めるというようなことがすでに実行に移されておりますし、関西大学あるいは関西学院大学、同志社大学、立命館大学の各大学院間におきましても単位の互換制度を認めるというようなことが出ております。
これはいままでの文学部で、ここで長い議論をしてきましたから、いまあらためて議論はいたしませんけれども、たとえば東洋史学をとっても、史学をとっても、国語をとっても、英文学をとっても、とにかくたいへんな欠員の中で大学が動かされているわけであります。私は文学部の人たちを防衛する意味で言っているのではなくて、教育大学にいま二年、三年、四年の学生がいるわけです。
英文学の先生を、英文学のままで後任を考えますならば、多くの大学でそろっておるかもしれません。しかし、ロシア語の教官を今度新たに加えたいといったような問題になってまいりますと、既存の関係教官だけでは足らないということも起こってまいりますから、そうした場合に、人事委員会の総会で専門分野に応じてこういう方を加えられたらどうであろうかというふうな余地を残しておるわけでございます。